ただの”大学生”だった
私としては大変な努力をして、某有名私立の理工学部に入学することができた。
ただ、ここでも、学校の勉強に打ち込んだわけでも、サークルに生活をかけたわけでも、何かビジネスの立ち上げにチャレンジしたわけでもなく、普通の“大学生”として、能天気に過ごしていたと思う。
アルバイトもTSUTAYAのレジや、家庭教師、塾講師くらいのものだった。至って普通である。
冴えない就職活動
物理学科にいた同級生の9割はそのまま大学院に進学をするなか、私には物理の世界は難しすぎる、私のいるべきところではない、などと考えて、格好だけの就職活動をした。
もっと正直に言えば、特に楽しくない物理という世界、地味で、いわゆる“おたく”ばかりいて、そして華やかでない世界。そんな世界から抜け出して、“華やか”な世界に入るために就職するという道を選んだのかもしれない。
だからこそ、本当の意味での興味、熱意がないまま、経営コンサルティングの会社、商社、銀行などをとにかく受けた。
・・・でも、どこも受からなかった。
今考えれば当然のことである。その頃自分に誇れるものが、あえてあったというならば、一応、有名大学出身です、ということくらいだ。本質的な自分の価値という面には全く目を向けていなかった。
そして、たまたま受かった会社に就職することにした。人によっては一流企業と言ってくれるし、給料もいいみたいだし、親は喜んでくれたし。
そんな、自分の興味や熱意といったものとは全く別のところで、自分の進むべき道を決めていたのだと思う。
パイロットになりたかった
そういえば、大学三年生の頃、何をきっかけにしてかは忘れてしまったのだが、強烈にパイロットになりたい、と思い立ったことがある。
絶対になってやろうと思った。
飛行機の整備士だった親父は昔、パイロットになりたかったということも知っていた。そんな影響で、小さい頃から飛行機は本当に素敵なモノだと思っていた。
特に役に立たないとは分かっていても、航空無線通信士の資格取得、気象予報士の勉強(こちらは資格は取れなかったのだが)、英語の勉強、そして日々の健康管理など、色々なことをした。
航空大学校の視力の制限が厳しく、当時の自分には受験資格がなかったため、富山にある視力をよくすると有名な針治療にも一度、行ったことさえある。
・・・しかし、視力は良くならず、残る選択肢として、JALとANAの自社養成パイロットの採用試験があった。これに全力で臨もうと思った。
結局、試験には受からずにパイロットにはなれなかったのだが、今思えば、大学生時代の一番の思い出というと、このパイロットなるという目標に向かって挑戦したときの記憶ではないだろうか、と思う。
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