2014年3月18日火曜日

特に特筆すべきこともない幼少時代を過ごす

世界最難関ともいわれるスタンフォードのMBAプログラムに来て、こんな変化を味わうことなど、少し前の自分には想像もできなかったことだ。


平凡な田舎生まれ、幼少時代の喘息

私は千葉の田舎生まれ。保守的な両親のもと平凡な家庭で育ち、正直、飛び抜けて優秀だったわけでもないし、何かみんなを惹き付ける特技があったわけでもない。

女の子に特別モテたわけでもなければ、都会で育った若者のように若いころから渋谷で騒いだこともない。

それどころか、私の幼少時代は、暗かった・・・。

小児ぜんそくを煩い、とても弱い子供であった。小学校のころは学校をよく休み、毎日ぜんそくのくすりを飲み、親に頼ってばかりだった。

遠足のときに、いつもと違うリュックサックを背負っていくことに抵抗感を覚えて、朝家に引きこもって他の登校生の姿をチェックしたりするくらい、弱気で暗い、そんな子供だったように思う。

五つ上の兄の真似ばかりして、自分で何かを始めたこともなかった。


中学時代はテニスに没頭した

中学校の頃は、そんな自分にも少しだけ充実した日々があった。

テニス部の副部長になって、毎日テニスに没頭した。小児ぜんそくもほぼ改善して、体も前に比べれば大分丈夫になってきた。成績はよく、地区で一番優秀な公立高校に推薦で入学することができた。

その当時は、その高校は都会にいけば、誰も聞いたことのないような学校だ、などということは想像すらしなかった。

都内のエリートたちがどんな気持ちで自分と同じ世代を生きていたのかも、知る由もなかった。


また、暗かった、高校時代

そして、高校時代はまた、自分に暗さが戻って来た時期だと思う。

サッカー部やバスケ部のいわゆる“華やか”なクラスメートに、何故か引け目を感じて、閉じこもって過ごしていた。

入学して最初のころ、朝の電車が一緒で(といっても30分に一本しかないので、必然的に同じになるのだが)、たいして仲が良かったわけでもないのに、一緒に登校することになってしまったメンバーが嫌で、毎日憂鬱になったりもした。

女の子の友達も全然いなかった。そんな暗い、閉じこもった高校生だった。

当時はそうは思っていなかったけれど、頭はいいんだぞ、ということしか存在意義が見出だせなくて、真面目に勉強していたのだと思う。

だから、高校三年生のときの受験勉強のときなどは、あまり友達とも交流せず、一人で勉強に没頭した。それでも、もともとそこまで頭がいいわけでもなかったので、東大とか京大とか、そんなところは受験すらできなかった。


⇒大学生時代もいたって“平凡”だった

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