ここスタンフォードは、もうすっかり春である。この春の陽気に誘われて、昨日もまた、サンタクルーズにサーフィンに行ってきた。昨日は、波は穏やかだったけど、確実に乗れる波はあるし、そんなに混んでいないし、そして何より春の雰囲気があちこちを漂っていて、海の上に浮かんでいるだけでも幸せを感じた。
サーフィンで波待ちをしているとき、特に他の人から離れて一人で波待ちをしているときというのは、どうしようもなく色んな思考が押し寄せてくる。だから、辛い気持ちの時に行くと、どんどん辛い気持ちが深まってくる。意外とサーフィンとはそういう面があるのだと思っている。そして、昨日は、特に辛いこともなく、海に浮かんでいたのだが、なんだか自分の人生を振り返ってしまった。そして、自分は本当に不器用だなぁと思った。なんだか、いつも何かにあがいている感じがする。いつも何かに騒いでいる気がする。
小学生の頃、自分は自分が大嫌いだった。喘息も持ってたこともあって、学校をよく休んでいたし、元気にスポーツに精を出す友達を羨ましがったり、妬んだりしていた。でも、頑張って、中学校の頃に打ち込んだテニスで、何とか元気になって、喘息もなくなっていった。副部長になって、地域のトーナメントで優勝して、本当に嬉しかったし、自分に自信を持つこともできた。でも、その一方で、自分が元気になっていく、テニスが楽しくて仕方ない、と思って、適当に部活に参加してくる後輩とかに、やたらに厳しく、冷たくあたっていた気がする。全くリーダーとしては不合格だったと思うし、なんだか自分の気持ちばかりが前に出て、全然誰もついてきていなかった、という面もあったかなぁ、と思う。
高校の頃、自分の力で受かりたい、とかいって、大学への推薦入学を断った。推薦だって、別に自分の力なのに。そして、厳しい受験の末に、結局推薦を断ったところと同じところに入学することになった。本当に不器用である。まぁ、今になって考えれば、その挑戦から得たものもあるので、よいということにはなるのだが、それにしても、スマートではない。スマートでないと言えば、体重もその頃には、部屋にこもりすぎで、受験勉強をする前より10kgくらい太っていて、ぱんぱんになっていた。
大学では中途半端にテニスサークルに入って、でも途中からサーフィンとか、他の活動がしたくなって、変なタイミングで辞めた。既に色んな委員会とか、義務の発生するポジションにいたこともあって、かなり周りの人に迷惑をかけた。恋愛も不器用だった。なんだか、相手のことを本気で好きなのか、それとも相手に好かれている自分が好きなだけなのか、なんだか分からない恋もした。やたらに高い旅行とか、ホテルとかをとって、お金をたくさん無駄にもした。
物理学科に進んだのは、アインシュタインに憧れていたからだ。宇宙に興味があった。相対性理論を学びたいと思った。でも、自分にはそれを本質的に理解するだけの知力、もしくは熱意がなかったからなのか、なんだか途中から分からなくなって、自分がいる世界ではないような気がした。
途中、本気でパイロットになりたくなったこともある。パイロットになるには視力の制限があるのだが、自分はそのぎりぎり、もしくは制限に引っかかってしまうくらいの視力で、何とか改善したかった。富山に視力を良くする有名な針治療医がいるというので、はるばる出向いて、治療を受けたりした。全く良くならなかった。そして、航空無線通信士の資格も取った。でも、航空会社の自社養成パイロットの試験に、結局落ちてしまった。JALなどは、一次面接で落ちてしまうのだから、笑ってしまう。でも、あの頃は本当に辛かった。今考えると、何であんなにパイロットになりたかったのか分からないのであるが、あの頃は、晴れた空を見上げて、夢を見ていた。時々泣いたりもした。
そう、自分はよく”落とされる”のである。大学受験も第一志望には受からなかったし、パイロットにもなれなかった。就職活動でも、何十社受けたか分からないが、よく落ちた。まぁ、格好つけて、いわゆる”かっこいい”会社ばかり、特に強い思いも持たずに受けていたのだから、当然と言えば、当然であるが。
会社に入社して、最初に配属になったITセクターでの仕事。本当に嫌だった。自分のやりたい仕事ではないと思った。現場のおじちゃんたちとも絡まなくてはいけないシーンが数多くあり、無理に夜の飲み会に誘われたりして、ほとほと疲れ果てていた。毎週末、病気のように海に向かって、サーフィンが自分の生き甲斐だと思い込ませるように、のめり込んだ。一時は実家の近くの町役場にでも転職して、一生サーフィンだけして生きていこうかとも思った。募集要項もよく読んだりしたことを覚えている。なんとも不器用というか、その場限りというか、いずれにしてもスマートではない。
落とされるといえば、MBA受験も例外ではない。自分は社費派遣でどこか一校には絶対に受からなければならないこともあり、10校に出願した。そして、その多くの学校から不合格通知、もしくはWait-listの通知をもらった。どこも受からないのではないかと、本当に辛い思いをした時期もあった。でも、あがきまくった末に、ここスタンフォードMBAから合格をもらうことができた。同級生の中には、ハーバードとスタンフォードしか受けなかったよ、とか言う人もたくさんいるなかで、なんて自分は不器用なのか。改めてスマートではない。
ここスタンフォードに来てからも、色々と格好悪いことをした。ぶっちゃけて言うが、なんか世界のトップビジネススクールに来たからといって、まるでスーパーマンになったような気分になったこともあった。どうしようもない自分はずっと変わらないままなのに。そして、自分の身近な人、大切にすべき人に、たくさん迷惑をかけた。今になってやっと、自分は何も変わっていないこと、そしてこれから変わっていかなければならないことに気付くという、これまら不器用というか、幼いとというか、まあ、基本的にバカなのである。
槇原敬之の「遠く遠く」という曲の中に「大事なのは、変わっていくこと、変わらずにいること」という歌詞が出てきて、自分は本当に好きなのであるが、まさに今の自分へのよい示唆になっていると思う。スタンフォードMBAのコミュニティーにきて、色々と刺激を受けて、ダメな自分を変えていかなければいけないが、一方で、自分の不器用で、スマートではなくて、全然ヒットの率は低いのだけれど、それでもいつも、何かに暴れているような生き方というのは、多分変えようがないし、変えなくていいものなのかもしれないと思う。
いつか、こんな自分を通じて、社会に貢献したり、周りにいる人を幸せにできるようになりたいと思う。